ひな人形販売会

 ひな祭りは終わってしまいましたが、遠刈田温泉のこけし館では素朴で味わいのある「こけしびな」の販売会を3月20日まで行っています。 来年のひな祭りで飾る雛人形を探しに行かれてはいかがですか?
遠刈田こけしの伝統技能で作られた、可愛らしいひな飾りです。見るだけでもどうぞ(#^.^#)


日時/平成24年2月1日(水)〜3月20日(火・祝)
場所/みやぎ蔵王こけし館
問合せ/みやぎ蔵王こけし館  0224-34-2385


山水苑日記 | 2012.03.06 10:00 | コメント(0)

雪・・・大雪・・・個人的に椀子蕎麦

おはようございます。
3月になりそろそろ春の足音がきこえてもいいこの時期にまた大雪になりましたね(;一_一)
苑内の道路は除雪しておりますが追いつかない位雪が降っていますので苑内で散歩や運転される方は十分に気を付けて下さい。

先日、私は岩手県に行きましたが蔵王よりも雪が少ない感じで雪化粧された岩手山がとても綺麗でした。
そして、わんこ蕎麦に初めて挑戦しました!!
記録は189杯でギブアップでした\(◎o◎)/!

P・S 体重は83kgになりました!!
山水苑日記 | 2012.03.05 10:29 | コメント(0)

遠刈田に伝わる昔話

皆さんこんにちは!今日の蔵王はスッキリと晴れて蔵王連峰がきれいに見えています(●^o^●)さて本日の話題は蔵王町に伝わる昔話。蔵王山水苑が位置する「小妻坂」の地名の由来も出てきますので多少長文ですが(~_~;)ご覧になってみてくださいm(__)m

炭焼き藤太
むかしむかし、鳥羽天皇の御代(みよ)。京の東山に、三条盛實公(さんじょうもりざねこう)というお公家さんが住んでいました。盛實公は子供がおりませんでしたので、何とか子宝を授かりたいと、日頃から信仰していた北野天満宮に願を掛けました。すると、おめでたいことに女児を授かりました。

 盛實公は、女児を豊丸姫と名付けて大切に育てましたが、残念なことに五歳のとき、疱瘡(ほうそう)を患ってしまいました。運よく回復したものの、かわいそうなことに、あばただらけの醜い顔になってしまいましたが、気立てのよい、優しい姫君に育ちました。

 やがて、姫も年頃になりましたが、いっこうに良縁に恵まれず、盛實公も心配していました。ある夜、姫の夢枕に神様が現れ、奥州信夫郡平田村の炭焼藤太という者こそ、姫の夫となるべき人だと告げました。姫は、お告げがあったことを盛實公に話し、名をおまんと改め、乳母のりんをお供にして、はるばる奥州へと旅立つ事にしました。

 さて、奥州は平田村に着いてみると、そこには炭焼藤太はいませんでした。村人に尋ねると、藤太はさらに山奥に入って炭焼きをしているのだということです。そこで、姫はさらに旅を続け、途中、宮の白鳥(しろとり)神社に参拝して、さらに進むと川があって、橋が流されて渡れなくなっていました。仕方なく着物の裾をたくし上げて渡ろうとしましたが、姫が恥ずかしいと言うと、突然川が逆さに流れたため、苦労せずに渡ることができました。姫はこの川を『逆川(さかさがわ)』と名付けて、さらに進むと、坂道のところまで藤太が迎えに出ていました。姫はこの坂を『妻恋坂(つまこいざか)』と名付けました。これが『小妻坂(こつまざか)』という地名のはじまりです。藤太と連れ立って少し進むと、雁がたくさんいる沼がありました。姫はここを『雁沢(がんざわ)』と名付けて、さらに進み、ようやく藤太の暮らす岩崎山の小屋にたどり着きました。



 藤太は炭焼きを仕事としているので、小屋のまわりの木々がぜんぶ、炭焼きの煙で芯枯れを起こしていました。これを見た姫は、ここを『志ん枯山(しんかれやま)』と名付けました。

 二人は夫婦になって暮らし始めましたが、藤太は貧乏で、その日の食にも困る有り様でした。姫は、「町に行って、この金で食べ物を買ってきてください。」と、持参した黄金を藤太に渡しました。すると藤太は驚いて、「こんなものなら自分の炭窯にいくらでもある。」と言いました。姫が藤太の炭窯をのぞいて見ると、窯の中はピカピカの黄金で一杯でした。姫は、岩崎山が金山であることを知り、藤太と二人で金を掘りはじめました。岩崎山は、今は篭山(かごやま)と呼ばれています。また、元和二年、藤太が金を採掘しているときに湧き出した霊泉こそが、遠刈田温泉のはじまりなのです。

 天治元年、二人の間に男児が誕生し、橘次信高(きちじのぶたか)と名付けられました。また、次男橘内信氏(きちないのぶうじ)、三男橘六信元(きちろくのぶもと)と、子宝にも恵まれました。橘次は、京の三条に屋敷を構え、岩崎山から産出した金を商って大長者になり、後には京に大仏を建立しました。また、仙北の金成(かんなり)でも金の採掘を行い、奥州藤原氏にも盛んに金を売り、金売橘次(かねうりきちじ)と呼ばれました。橘次はまた侠勇(きょうゆう)の徒でもあり、源氏再興に力を貸しました。後に橘次は、元和元年(1615年)兼頼公(かねよりこう)より黒印を受け、また、慶安元年(1648)には家光公より朱印を受ました。


 藤太夫婦の没後、四男嘉藤太信正(かとうたのぶまさ)は、山形宝沢村(ほうざわむら)の住吉神社に両親の霊をお祀りしました。

 また、おまん姫のお供として京からやってきた乳母のりんは、「姫は大変心優しい人ですが、病のためにこのようなお顔になってしまいました。私が亡き後は、世の人々、特に子供の病を治し守りたいです。」と言って亡くなりました。藤太夫婦はりんの徳を思い、五輪堂(ごりんどう)を建ててその霊をまつりました。子供の夜泣き、吹き出物、石疣などに霊験があらたかなため、今でもお参りする人が絶えません。
山水苑日記 | 2012.03.04 12:38 | コメント(0)

森林浴教室

森林浴教室
内容/雪の森の中を歩いて、癒し効果を体験してみます。(温かい飲み物付)
参加費/500円
期日/3月10日(土)
時間/午前10時〜午後1時
場所/野鳥の森自然観察センター
申し込み/当日受付(予約不要)

申し込み・問い合わせ先/蔵王野鳥の森自然観察センター
 TEL0224−34−1882 FAX0224−34−1871

車の運転にご注意下さい。
本日10時30分撮影
山水苑日記 | 2012.03.03 10:33 | コメント(0)

桃の節句

明日は上巳(じょうし)、桃の節句です。
上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日でしたが、後に3月3日に行われるようになりました。
旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われます。
古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。これが平安時代に日本に取り入れられ、後に、紙で小さな人の形(形代[かたしろ])を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになりました。
この風習は、現在でも「流し雛」として残っています。

蔵王町の花は桃です。それを桃の節句である3月3日に毎年仙台駅にて配布する、桃の花キャンペーンを行っています。

http://www.zao-machi.com/694
山水苑日記 | 2012.03.02 11:41 | コメント(0)
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情報誌「やまぼうし」