軽便鉄道
おはようございます!今朝の蔵王も昨日に引き続き晴れ!私の机から毎朝、眺めている蔵王連峰も今日はスッキリとその姿を見せてくれています。さて、昨日の遠刈田軽便鉄道の続きですが、当時としては地域の発展にそこそこの貢献をしてきたこの鉄道がやがて衰退するきっかけになるのは、実はこの鉄道の発足の時に遡り、既に種がまかれています。
この鉄道の運営会社は昨日も書いたとおり「仙南温泉軌道」ですが、それはあくまで廃止時の名前です。当時この鉄道は2社で運営されており、大河原〜永野までの区間を運営していたのが「城南軌道」と言う鉄道会社。そして永野〜遠刈田までを「仙南軌道」と言う会社がそれぞれを受け持つ形で運転してました。これは話すと、とても長くなりますので端折って話します。
現在の蔵王町や福島の資産家が中心となって発足したのが「仙南軌道」そして大河原町や村田町の資産家が中心となって発足したのが「城南軌道」この2社の利害関係の対立から、長い間県は認可を出せずに時間が流れてしまったそうです。その間に時代は発展し、鉄道が全線を走る頃には近代的な交通網から孤立する存在になっていたようです。やがてこの2社は合併して「仙南温泉軌道」になるのですが、そのときには既に時代の波から乗り遅れた形になっていたんですって!う〜んこの辺は考えさせられますね・・。
今も昔も人々の利害関係は対立するものです。しかし自分の利害ばかりに囚われていると、大局を見失うことになりますね、こうして「木を見て森を見ず」に時代の波に飲み込まれていくもののなんと多い事か・・もちろん我が蔵王山水苑は常に良い物を、そして常に新しい考えを取り入れて来ましたし、これからもそのつもりです。もちろん大切な物は守った上でのことですが・・。
少し話が逸れてしまいましたが、こうしてこの親しまれた軽便鉄道もやがてその役目を終え、廃止されていきます。しかし当時の人々の記憶には黒煙を吐き出しながらこの雄大な蔵王の自然の中を走る、その勇姿はいつまでも残っていたと思います。そして今私が座っているこの「蔵王山水苑管理事務所」のまさに真下辺りを通っていた線路も、現在の遠刈田温泉にあるホテル「さんさ亭」の駐車場にあった遠刈田駅も現在は記憶と写真の中でしかその面影を偲ぶ物はありません。こうして時代に求められ、翻弄され、そして時代の波に呑まれていった「遠刈田軽便鉄道」はその20年の短い歴史に終止符を打つのでした。
どうですか?!私の拙い文章でもとても興味深い話でしたよね?皆様も蔵王の近代史を偲びながら、この遠刈田温泉を訪れてみませんか?普段は思いもしない、ロマンに浸れるかもしれませんよ!もちろん温泉に浸かりながら・・。そして蔵王にいらしたときにはぜひこの蔵王山水苑管理事務所を訊ねてみてください。蔵王について色々とお教えいたします。ご希望なら名所もご案内致しますよ!もちろん、時間があるときですが(私はガイドではなくイチサラリーマンに過ぎませんので悪しからず)(~_~;)
そして最後になりますが、この「仙南温泉軌道」は現在の「ミヤコーバス」の前身です。このミヤコーバスは現在、遠刈田温泉から蔵王山水苑、そして仙台までを高速バスで繋いでいます。これにも私は時代のロマンを感じますねえ・・。
(現在は僅かに往時の駅前通を偲ぶ事しか出来ない)