おはようございます!今朝の蔵王はスッキリしなかった昨日とはうって変わって良い天気になっています。新緑も目に眩しく、とても良い季節です。
さて、新緑の若葉が成長し、これから深緑に変わっていくこの季節。昨日もお伝えしたように、我が蔵王山水苑には仙台市の田子中学校から職場体験学習として、2名の女の子が、お手伝いに来ています。そして山水苑の入口に位置するレストラン
「山ぼうし」にも2名の男子が来ているようです。
今日はこの佐藤君と高橋君の働きぶりをご紹介しながら、これからの日本を担っていく子供についての考察をしていきたいと思っています。
朝、私がやまぼうしを訪れると聞きなれない元気な「おはようございます!」と言う声、カウンターの方に行って見ますと、エプロンをして二人の男の子がなにやらお手伝いをしている様子です。「やまぼうし」のオーナーの佐藤美枝子さんに聞いてみると、この後開店の準備としてトイレの清掃から入って店内清掃をしてもらう予定だとか・・。そして開店後は接客の仕事を通して、仕事の厳しさと、喜びを体験していくのでしょうね!
思うに、子供の頃に社会参加の経験をするということは、どんな授業よりも子供たちの将来に大きな影響を与えるような気がします。やはり勉強ももちろんそうですが、仕事をするということは、真面目にすればすぐ成果が出て、周りから感謝される。
この成果というものを実感した時、人は成長するのだと思っています。そしてやがて子供たちが、社会に出た時に、その経験が役に立ってくる。私はそう思っています。
少子化、
核家族化、
女性の社会進出により現在孤独な子供たちがとても増えていると聞きます。これはあくまで、私の持論でしかないのですが、「子供」とはなぜ子供と言うのでしょう?子供の対義語は大人ですが、字面で見てみると必ずしも対義語になっているとはいえませんね。なぜなら、子供の「供」の字は複数形なのに対して、大人はあくまで個人を表している。このことに皆様はお気づきでしょうか?これは昔から子供と言うのは、集団で一まとめに面倒を見てきたと言う経緯があるからではないかと思っています。それは忙しい大人たちが編み出した、実に合理的な子育ての方法だったような気がします。子供は集団生活の中で他と自分との係わりを学んでいくのだと思いますし、その集団の中ではガキ大将的なリーダーがいつしか現れ、その集団をまとめていく。そんな子供の社会と言うのが以前の日本には存在した。
ですから子供たちは子供の社会の中で社会性を身につけてきた。今となっては古き良き時代になってしまった、そんな日本の原風景を復活させることが、
少子化、
核家族化、
女性の社会進出など子供にとっての厳しい時代を乗り越える唯一の方法なのではないかと思っています。いつものとおり勝手な持論を展開してしまいましたが、子供を守り、成長させるのは親だけではなく社会全体の責務です。
ですからこの度蔵王町が、このプロジェクトを受け入れたのには、私ども蔵王山水苑も大変感心しております。
そしてこれからも、積極的にこの手の活動に係わって行こうと考える今日この頃であります。
接客している佐藤君と高橋君
「器と食事の店やまぼうし」0224−34−1180
山水苑日記 | 2008.05.15 09:09 |
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